後編。
《この記事は、前編 / 後編 があります。》
R3 Rokkenmichi-3
ファンローカルの皆さんと新長田のまちを散策すると、とにかく固有名詞が出てくる。
その中でも、何度も言葉に出たのが「あーるさん」だったろうか。
ろっけんみちに入ったあたりに、「ああやってるやってる」という言葉を誰かが発した。
何を指して言っているのかわからないまま連れ立って歩いて、一行は灯りの点いたお店に到着する。
インテリアショップのようなカフェのような、あるいはコワーキングスペースのような不思議なお店は、r3というらしい。
「r」は、rokkenmichiの場所を表す意味と、reuseやrenovationの再生や再利用・再使用などを意味します。
あとでお店の意味を調べると、↑のようなことが書いてあった。
r3を外から眺めながら、ここがどんな場所か、企画発起人の優さんが説明してくれた。出来合いの用語で括るなら、多目的空間とかコミュニティ・スペースとかだろうか。
そうこうしているうちに「真面目な会議中かな」なんて言いつつワタナベさんがお店の引き戸を開ける。
対応してくれたのは、店主らしき男性と、中学生らしき女の子だった。
「ああ、いつもご苦労さん」
「会議?そうそう、いろいろね 笑」
「どちらから?」
小気味良いやりとりのスモールトークが、店主とファンローカルのメンバーと、そして中学生とでおこなわれる様子に、ぼくはすごく驚いた。
赤ちゃんからお年寄りまで、ワイワイ仲良く集まり夢をかなえる空間
その店先の光景は、r3のサイトに書かれた「想い」をたしかにかたちにしたものだった。
そしてそれはなんとなくできたものではなくて、店主の合田さん夫妻が、「創る」と「繋ぐ」という持ち味を活かしてできたことなんだろう。
翻ってじぶんはどうだろうか。自ら住むまちのなかで、何かできているのか。
ぼくは少し、気後れした気分になった。
はっぴーの家ろっけん
r3の驚きも消化できないまま向かったのは「はっぴーの家ろっけん」。
敷地の外に面した人工芝やカラフルな家具に彩られた不思議なスペースもさることながら、目についたのはそこでパソコンを打つ中学生らしき女の子だった。
また中学生だ。
そして、その中学生に当然のように絡んでいく街歩きの面々。
文化人類学者という職業柄、「あたりまえを問い直す」なんて学生たちに何度も言ってきたわけだけれども、中学生と普通におしゃべりするという様に驚くのは、いかに自分が「役割や世代が違ったら街で交流しないのはあたりまえ」という世界に生きているかを突きつけられる。
よくよく考えてみたら、ぼくが大学院生時代に関わったつくば市北条の活動でも、何人かの中学生が当然の顔して当時立ち上げた交流拠点に来ていたことを思い出す。
いつからぼくは、それをあたりまえと思わなくなったんだろう。
それから一行は、建物の中へ。
ドアに貼られたアフリカンダンス講座のポスターを見て、「あ、この人がさっき話したXXXです」という風なやりとりも何度目か。
「多世代型介護付きシェアハウス」と銘打たれたこの「家」は、一行が訪れた夜8時頃には、利用者が数人テレビを見ながらのんびり過ごしていた。
(利用者もいたので写真はご遠慮。)
会いたかった代表の方は出張でいなかったらしいけれど、その場所の「魅力」は、ぼくの理解の範疇を超えていた。
例えば、共同スペースの片隅に置いてある麻雀卓を見て、同行した市職員が、
「ここで中学生たちが放課後来て麻雀していくんですよね」
というのにも驚くけれど、さらには、
「(麻雀の面子として)勝手に中学生のLINEグループに加えられてました」
と続くのが、この場にまつわるエピソードなのである。
(きっと、卒論のインタビューとかたくさん来てるんだろうな)
…と考えるあたりに、仕事の業の深さを感じずにはいられない。
雑誌のラックにNew Balanceが提供するフリーペーパー「NOT FAR」を発見。
しかもこの雑誌にはっぴーの特集が。
たしかに、雑誌のタイトルが示すとおり「ちょっとそこまで」の感覚が必要だ。
ボウサイクウチ
冬空の2時間をこえる街歩きは、まだ終わりを迎えない。
次に向かったのは丸五市場。
夜であることもあいまって、ぱっと見はいかにも「シャッター」な空間である。少なくとも、ひとりでは歩けない場所だ。
看板が示すようにかつての公設市場を連れられて進むと、店をまだ開けている惣菜店へ。
そこでの会話も、実にここらしい。
「XXXさん、こんばんは」
「あー何、元気?もうこれしかないから買っていって。焼きそばも」
「あ、私買います。」
「僕もこれ、全部」
「お姉ちゃん久しぶりやね。痩せた?」
「足大丈夫なんですか?」
「大丈夫じゃないねん、まだ痛い」
そして会話の中ででてくる「ボウサイクウチ」の話。
野菜か魚の話かと思って会話を受け流し、鮮魚店を後にすると、おもむろに市場の中のシャッターを開けるワタナベさん。
そこには、ぽっかり空いた商店街の空間があった。
夜空も顔をだす空間で、ワタナベさんたちが語りだす。
「ようやくなんかできそうなところまで来れた」
「ここでなんかオモロイことができたらと思って」
「とりあえず(土のところに)樹でも植えようかな。あとタープとか張って。これからまちの人たちといろいろ話して決めていきたい」
傍目にはシャッター街にしか見えない空間を一皮むくと、全然印象が変わる。
そんな街の裂け目やすきまに、おもしろさの可能性が広がっている。
お店だけどお店じゃないみたい・めいりん
怒涛のような情報量のフィールドトリップで、すでに今日の歩数は15,000歩を超えていた。
そんな中で、丸五市場の中で赤い提灯を見つける。
やった、ご飯だ!
これは待つのかあるいは外かと思っていたところ、お店のおかーさんが口にしたのは、
「上がって食べていきなさい」
だった。
裏口に促されてドアを開けると、そこはお店の冷蔵庫と食材が並ぶ部屋にダイニングテーブルと丸椅子が何脚か。
ここお客が食べていいとこなのか?…と思いながらも卓につく。注文はもちろんお任せ。
この記事が食レポならここの描写を頑張るところだが、まだ語らなきゃいけないことがあるのでここでは割愛。
水餃子は絶品と言われるだけあって本当に美味しい。
大阪から何十人前と買っていくお客さんもいるらしいとのこと。
めいりんに座ったところでようやく名刺交換。
そして今回案内してくれた方々の新長田との出合いの話を聞く。歩いているときには聞ききれなかった話を確認しながら、なんでこんなまちとの関わり方ができるのかと尋ねると、ワタナベさんはさらりと説明した。
「おもんない人と付き合ってたらおもんなくなっちゃう」
その言葉の意味をあえて説明するとこうかもしれない、
このまちでは、ワクワクするという感覚をとても大切にしている。
その人がどんな社会的地位だとか、なんて大学を出たかの前に、何ができるか、何を面白いと感じるかが、ある。
それは市役所の仕事であっても、そうでなくてもいい。市役所の職員だからこうしなければ、とか、まちづくりにはこういう態度が必要だ、とか役割やべき論で縛ってしまわない。あくまでそこにあるのは、「まちに関わる」あるいは「まちに住まう」という態度(アティチュード)だ。
なぜぼく(たち)は、仕事をすることだけをここまで大事にしてきたんだろう。
ファンローカル。
まちを、地元を楽しむ、というあり方にはもっと幅があっていいことを、水餃子の後に鴨ハムと麻婆豆腐を食べながら、ぼくは皆さんから改めて教えてもらった。
どぶろくから微発泡へ
「ろうめん、たべないのか?」
というめいりんのおかーさんの誘いを時間ぎれで泣く泣く断り、いよいよラジオの配信へ。
ここまでのフィールドの総括の時間だ。
配信場所は、とまりぎというゲストハウスだが、3軒長屋の隣の隣にはサカヅキというBarがいるとのことで、ひとまずそこへ移動してオーナー夫妻に会う。
長屋を改装した素敵な空間で、それでいてとにかく情報量が多い。誰が誰と高校の同級生だとか、ふらっとやってきたのが元区長だとか、明日はなんとか市でワークショップでだから2145から打合せがあるからゲストハウスは自由に使っていいだとか…。
そこにいるのが誰が誰かもわからないままラジオの配信準備を進める。
ぼくたち(早川と優さん)は、stand.fmという音声配信プラットフォームで、月に1度、文化人類学を世にひらくラジオをやっている。
今回の新長田もその企画の延長線だったわけだけれど、さっきまで一緒にいた人たちの前で公開配信するのは初めてだ。
たかだか数時間歩いた程度の人間が、何を話せるのか。
そんなためらいを抱えながら、ラジオは22時に開始を告げる。
ぼくはさっき、めいりんの水餃子を食べながら考えた、『マツタケ』の世界観と新長田の類似性について語ってみた。
『マツタケ』とは、アメリカ人人類学者アナ・ツィンの著作名だ。
ホストツリー(マツ)との共生関係でしか生きられないマツタケは、人工的に栽培することができない。
しかもマツタケは、乱開発など人間による汚染した貧栄養の環境下で育つ不確定な作物であり、資本主義が失敗した、あるいは覆うことのできない周縁に萌えいづる生物である。
ここにこそ規格外(ノンスケーラブル)の、それゆえに多様性に富んだ世界の可能性があるというのが、本書のキモだ。
(くわしくは本書を読んでほしい。ちょっとお高いけれど、図書館で借りてでも読む価値はある本です。)
マツタケの話をしたのは、新長田の今が、まるでこの本で語られるマツタケと同じように感じられたからだ。
つまり、震災という社会変更、その後の大規模な再開発計画とその裂け目にぽこぽこと湧き出たアートや新事業の息吹が、マツタケが環境の荒廃と政治経済の失敗に登場する産物であることと似通っているんじゃないか。
いや、それはどうだろう、と聴衆からは別の意見が出される。
安全地帯から議論を発していないこの感じが、ぼくに緊張感と心地よさを与えてくれた。
そのとき、聴衆のひとりから新長田に関しての発言が出る。
「ただのひとみ」と自分を紹介するひとみさんは、生まれも長田の、自他共に認める「長田のおばちゃん」だ。
ひとみさんはこう言う。
「昔は、長田のいろんなところがいやで出ていった。戻ってきたらなんかちょっと良くなってた。それは喩えるなら、昔の長田はどぶろくで、戻ってきたら微発泡になってた感じ。」
なんて言い得て妙な表現だろうか。
どぶろくが禁止されたのは、それを国家の統制に置くためだったと一般に説明される。
ただどぶろくが廃れたのはそれだけじゃない。それは酒としてクドかったり、あるいはどぶろくを通じて構築される関係がパターナル(家父長的)で封建的だったこともあるだろう。
それが時間を置いて醸されて、クセはあるけれど味わいのある美味しいものに変わった。
そこには、30年近い経済の停滞のなかで、社会が変わってきたのもあるのかもしれない。
どぶろくから微発泡へ。
『マツタケ』を介してぼくが表現を試みた、目に見えないものどうしがつながる共生関係を、「ただのひとみ」さんは地元の言葉で翻訳してくれた。
その手ざわりのある言葉は、きっとこのフィールドトリップの終わりにふさわしかった。
***
新長田はこれからも、新旧のさまざまな担い手たちによって醸されていくのだろう。
新長田で起きている事柄は、出来合いの言葉で閉じ込められるようなものではない。それはきっと、未来に発明されるであろう概念の先取りだ。
ロックンロールが後の時代にそう名付けられたように、新長田で起こっていることは未来にはっきりする。
新長田は未来完了形のまち。
また次にここにきた時に感じられる変化を期待して、今回の記事を締め括ることにしたい。
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記事を書いた人
編集:レミパン