2024年2月。ファンローカルメンバーのお友達の渡辺優さんから、「文化人類学者の早川さんを新長田に呼んで街歩きからのラジオ公開収録をします!」という企画を聞きつけました。そこにメンバーのワタナベ・さとみん・レミパンが駆けつけて一緒にウロウロさせてもらったところ、早川さんが素敵な記事にしてくれました。そんな早川さん目線の神戸・新長田の記事を、特別編としてお送りします。
《この記事は、前編 / 後編 があります。》
こんにちは。早川公と申します。
ふだんは大学教員をやっていまして、専門は文化人類学という学問で、大学院生の頃からまちづくりや地域づくりの研究をしています。
今回、渡辺優さんからご縁をつないでもらい、ファンローカルの皆さんの導きのもとで、新長田をフィールドトリップする時間をもらいました。
その体験をここに綴らせてもらえればと思います。
鉄人28号と三国志のまち?
JR新長田駅に到着すると、まず看板にも出てくるのが鉄人28号と三国志です。
よく調べもせずに街に来たもので、なんでかと思ったら漫画家の横山光輝に縁があるのですね。
ファンローカルの皆さんと合流するまで少し時間があったのでひとりで歩くことにしました。
観光案内のサイトをみながらひとりでふらつく街歩きはそれはそれで楽しいものの、職業柄いろんな地域にはいくので、「あ、そうなんだ」という感じで集合時間を迎えます。
とはいえ、非常に広い歩道や、整ったビルディングにこじんまりとした商店がテナントを入れているあたりに、再開発がすごく進んだのかな、という予感はありました。
つれづれに合流していくファンローカルズ
さて、街歩きの時間になり、ぼくを呼び出した張本人である新長田住まいの渡辺優さんと新長田駅前で合流。
しかし時間になるも予定の集合せず、渡辺さんが「あ、そっちにいるんですね?」「じゃあ、XXXのあたりで」などとやりとりをしています。
そもそも誰が来れるのかも蓋を開けてみて、という雰囲気。
だいぶ、たのしみになってきました。
「とりあえず歩きましょう」といいながら通りを歩くと、自転車に乗った女性が声をかけてきます。
「あ、レミパンさん。こんにちは、ここです!」
あ、こちらが今日の参加者なのですね。
自己紹介もほどほどにまた歩くと、
「あ〜ナベさん!よかった、合流できた」
「たぶん、このへんで会えるかと思って」
という感じで、またひとり合流です。
この時点で、ぼくには誰が誰だかわかりません。
ともかく、フィールドトリップのはじまりです。
インフォーマントと一緒に、歩く
「それじゃ、記念撮影しましょう。鉄人広場といったらこれですね」
とファンローカルのメンバーから、ミラーを使って鉄人28号と撮影する方法を教えてもらいます。
そんな方法はどこかに案内があるとかではとくにないのだけれども、慣れた案内に今日のフィールドトリップがスペシャルなものになることを予感させてくれました。
そして、さっきひとりで歩いたアーケードを少し行くと、
「そろそろ潜りますか」
とワタナベさん。
潜る??
どうも話を聞くと、この新長田の街は「三層ネットワークのまちづくり」を掲げて、地上、地下、空中(再開発ビルの2階以上とそれをつなぐペデストリアン的遊歩道)の都市計画を施したそうです。
いやあ、それは、わからない。
もう少し正確にいうと、あるのは目や情報で知ってはいたけれど、そこに身体を投じようとは思わない、という感じでしょうか。
文化人類学や社会学のフィールドワークで、当地について色々教えてくれる人のことをインフォーマント(情報提供者)といいます。
このインフォーマントを誰にするか、どう出合うかはフィールドワークを大きく変えてくれるわけですが、まちあるきでも誰に案内してもらうかはとても大きなことだと再確認しました。
ちなみにここで、早川とファンローカル代表のワタナベさんが同じ高校の1コ違いなことが判明。セレンディピティ!
パラールの奇跡。災害ユートピアの後に
地下歩道を進むと、ちょっと仕切ったような空間に「Wall gallery」と書かれたところがありました。
これは、1995年の阪神大震災の記憶と記録の場所です。
ぼくは大阪に住んで5年、これだけの震災の記録に触れるのは初めての経験でした。
正直、わずかな滞在の時間で言葉にすることは非常にためらいがありますが、印象に残ったことを一つだけあげるとすれば、「パラールの奇跡」と題された、壊滅的な震災から約140日で仮設(パラール)の市場を立ち上げた、住人と商店主たちの記録でした。
米ジャーナリストのレベッカ・ソルニットは、災害時に人びとが平時には信じられないレベルの相互扶助や自治を執り行うさまを「災害ユートピア」と名付けましたが、この自治の様子は、震災が日常である日本に住む我われに、ぐっと迫る感情がありました。
路地とアートと、あと何か
地上に出て商店街の端までくるところで約40分。
2月の夜の風は冷たく、「寒いね」といいあうところでこれからどこに行くかの選択肢。
選択肢Aはアーケードの中を行く道。
そして選択肢Bは、港に向かって真っ暗な路地を行く道です。
正直、一人歩きから2時間屋外なので、Aでもいいんじゃないかと思いながら、
「きっとこっちの方が好きかな」
というインフォーマントの言葉に牽引されて、路地を通って港に向かうBにしました。
路地を歩きながら話したのはこんな↓感じの話でした。
・このあたりは、昔から集落が存在している地区。震災の火災も比較的少なかったので、昔の建物も残っている。
・舗装されている路地とそうでないのがあるのは、その沿道の人たちで合意をする必要があるため。
・再開発ビルやその周辺に、アート系の団体が集まってきた。当時の大阪の政治が芸術文化振興への予算を削った影響もあると言われている。
・こうした流れもあってアートプロジェクトが展開され、下町芸術祭というかたちになった
真っ暗な港からは駅前のビルやマンションがキラキラみえます。
そんな折に、ワタナベさんが「駅前の向こう側は再開発にヘクタール数十億円。でもこっち側にはほとんどもないんだよね」と話してくれました。
アートは、日常に裂け目をつくりだす取組み。この長田でなされている「プロジェクト」がどのようなものなのか、きちんと足を運んで考えたいな、と思いました。
ろっけんみちのロッケンロー
路地からアーケードに戻って、「ろっけんみち」と呼ばれる東西の道を進みます。
大きな道路を超えると、アーケードが途切れます。
「ここもかつてはアーケードあったんですけどね」とワタナベさん。
きれいな舗装の通りを歩きながらぼくが、「道路と街並みが合ってないですよね?」と尋ねると、ワタナベさんは「それを言ったら、(長田の街並みは)どれも何かに合わそうというよりは、ありのまま」と返し、一同が笑います。
たしかに。
「デンケン(伝統的建築群保存)地区」のように、街並みを魅力に据えるまちは、調和や整合性に重きを置きます。
けれども新長田は、そうではない。
マンションも、昔ながらの商店も、リノベして「それっぽい」お店も、多国籍料理店も、新長田には分けて置かれずに混在している。
そしてそれが、再開発のなかでキレイになったりそうでなかったり、キレイの中に違和感として残ったりしている。
アメリカが発祥のRock & Rollは、最初から型があってできたわけではない。
それは、ブルースやR&B、カントリー、そしてアンプやエレキギターの新技術が歌い手の中で融合して紡がれ、さらにはラジオやレコードのメディアを通じて、海をわたって日本でロッケンローとなった。
新長田を歩くなかでぼくに生じた感情は、既成のまちづくりの型の概念にあてはめて分析するようなそれではなくて、まさに名付けられる手前の新しいジャンルのものをみているような、そんなワクワクと怖さだったように思います。
そして道中は、そんな新長田の象徴であるような2つの歌い手を訪れます。
〉次回、「未来完了形のまち・新長田(後編)」へ続く
記事を書いた人
編集:レミパン